手品師白血球

私は一般社団法人スマイルケア名古屋の理事長という顔だけでなく、もう一つの顔があります。 それは、介護芸人:手品師白血球という顔です。

手品師白血球とは、この名のとおり、人体をばい菌から守るためにはたらく白血球をフィーチャーするように、 全身白タイツに身を包み、手品を切り口にして、皆様に笑顔と幸せをお届けする介護芸人です。

手品師白血球

手品師白血球誕生

では、何故私が手品師白血球として、皆様の前で手品を披露するようになったか、これまでの半生を振り返り、 手品師白血球誕生の所以をご紹介したいと思います。

吉本興業の養成所時代

まずは私の青年時代。二十歳で上京し吉本興業の養成所(東京NSC)に一期生で入所、そこで日々芸能の修行に明け暮れていました。
子供の頃から手品が好きだったので、お笑いと手品を掛け合わせた手品師白血球というキャラクターをこの時、作り出しました。
卒業後はこのキャラで、よくある売れない芸人の一人として、食べていく為に様々な仕事を掛け持ちしながら約十年間活動していました。

しかしながら、そのうちに手品にしろお笑いにしろ、芸人をやめたら何の役にも立ちそうにもないと思い始め、 三十歳を越えた頃、芸人をあきらめ名古屋に戻り、実家の家業に就きました。この時はまさか、一度あきらめた手品師白血球で 後に高齢者の前で再びステージに立つとは夢にも思っていませんでした。

笑いの力、笑顔の力の大きな可能性を実感

手品師白血球

転機が訪れたのは、四十歳の時です。私の祖母が認知症になってしまったのです。私は認知症グループホームに入所した祖母のところへ 行き、言葉が伝わらなくなってしまった祖母にどうにか笑って欲しいと考えた末、自分のできる手品のネタを披露してみることにしました。

するとどうでしょう。祖母が笑顔になるだけでなく、それを見ていた他の入所者や、その場にいた人たちにも笑顔の輪が広がったのです。

後で職員に聞いたのですが、笑ってくれた人の中には普段は全く笑わない人もいたということです。私はこの一連の体験で、「これだ!」 と頭に雷が落ちた思いがしました。
この時、私は笑いの力、笑顔の力で高齢者から元気を引き出す大きな可能性を実感し、新たなスタートを切る決意をしました。

活躍の場が広がっていく

その後は家業のかたわら、ボランティアで各地の施設をマジックショーをして回りました。あちこちから声がかかりますので、ご依頼を こなしていくうちに、「白タイツの『白血球』という元芸人が、マジックショーで施設を回っている」という噂が噂を呼び、年間百件に のぼるステージ出演のご依頼を頂いたり、ラジオのお仕事を頂いたり、新聞に取材されたりと活躍の場が広がっていくことになりました。

今のスマイルケア名古屋の事業へ

手品師白血球

皆様からお声を頂いて様々な介護施設を回らせて頂いている中で、私はそこの実態や悩み事がだんだんわかってくるようになりました。 介護の現場では、高齢者のお世話をされる介護職員の人たちが笑顔が少ないということに日頃から気になっていました。様々な職員さん との会話から悩みを聞きだしているうちに、笑顔が少ない原因がわかりました。それは労働環境の過酷さ、真因は介護職員の不足でした。 介護の現場は人がいないから入所者さんの世話で手一杯、レクリエーションまで手が回らない。それどころか入所や退所の際の段取りや 手配もおぼつかないというのが実態でした。

介護職員自身が笑顔にならなければ本当の意味で高齢者に笑顔になっていただくことはできないと、私は介護の現場を笑顔にすることを 本気で考え始めました。

その結果、ひとつの考えに至りました。介護の現場を支援することを仕事にして、そのかたわらでボランティアのマジックショーをする。 それを継続していく為には自分の収入も必要ですので、収益を出せる仕事が必要です。介護の現場のお悩み解決の為、練に練った構想の 結果が、今のスマイルケア名古屋の事業になっています。

笑顔のチカラで老後を元気に!

今は仲間も増え、より大きな枠組みで、当団体の理念「笑顔のチカラで老後を元気に!」の実現に、理事長の小宮として、 また、介護芸人:白血球として、高齢者や介護の現場のお悩み、困り事の解決に、今日も元気に笑顔でお応えしていきます。

レクリエーションでお困りの施設様は是非とも介護芸人:白血球にオファーください!完全無料のレクリエーションで笑顔をお届けします!